システムズ・エンジニアの定年後のキャリアについて考える(第1回)

私は25歳の新卒入社で、日本アイ・ビー・エムといういわゆる大手コンピュータ会社でキャリアをスタートさせました。コンピュータ業界といっても、色々な会社があり、さらにその中での業務も多種多様です。

私のキャリアは主に2つの分野に分けられます。一つはアプリケーションの開発、もう一つはソフトウェア製品のテクニカルサポートです。さらにプリセールスや一部マーケティング、営業に近い業務も経験しましたが、上記2つが主要な業務でした。

今回はメインがアプリケーション開発なので、こちらについて自分の経験を元にお話しを進めていきます。

「アプリケーション開発」にもさまざまな役割があります。

アイ・ビー・エムにいた頃は、いわゆるPM(プロジェクト・マネージャー)や、アプリケーションのデザイン、そしてデザインされたアプリケーションに見合うインフラ(ハードウェア、アプリケーション構築用ソフトウェア、ネットワーク機器)の選定、実際の運用計画を策定するといった業務も経験しました。

その後転職後に、プログラム開発等に参画した時はデザインされたデータ構造を元にSQL文を書く等の仕事も経験しました。

私がプログラミングに触れたのは大学で「Fortran Ⅳ」を学んだことが初めてです。1970年代後半、大型コンピュータにパンチカードでコードを読み込ませるという、今では考えられない開発環境でした。

それでも私にとってプログラミングは、今のゲーム感覚に似たものがあり、その当時「とても面白い」と感じ、学生時代、専門が統計学だった私は、多様な計算をコンピュータで行い楽しんでいました。当時は専門書がなく、周りに教えてくれる人も無く、コードは全て自己流でした。

そして会社に入り新入社員教育で、いきなり「ここのSEはプログラムを書くようなことはしません」と言われ、理由を聞いたら「コストに見合わない」からだと言われました。

それでもサラリーマンだったので、当時はサラリーマンとして会社の方針に従いましたが、開発に対するもやもや感はずっと残っていました。「自分で要件定義から導入まで手掛けたい」という思いが消えることはありませんでしたが、「一人でやるのは無理」とも理解していました。

私が関わった開発プロジェクトは、成功も失敗もしましたが、時に開発メンバーが全員交代させられるという「大失敗」もしましたし、1年で休みが1週間程度というとんでもないプロジェクトを経験したこともありました。まだ、「ブラック企業」と言う言葉が無かったころの話です。

それでも今でも不思議ですが、「開発プロジェクトはもうごめんだ」と思ったことは一度もありませんでした。

こうした経験を経て、2013年に55歳で高知に戻り、IT業界とは無関係の病院の調達会社で社長として働くことになりました。東京でのシステムズ・エンジニアとしてのキャリアが私の定年後のキャリアを考える上での大切な経験です。

医療業界の「働き方改革」のために…