AI時代の哲学

週末にNEWTON PRESS社の『AI時代の哲学』という本を購入しました。
私はもちろん哲学者ではありません。
大学を卒業して以来ずっと「SE」として仕事をしてきました。学生時代も哲学とはほとんど縁がなく、統計学やプログラミングといった分野を学んでいました。
それでもAIが現れて以降、この「異形のパートナー」とほぼ毎日会話をしながら仕事をしています。

今ではこの状態がすっかり当たり前の毎日になりました。
そういう日々を送っていると、どうしても考えてしまうことがあります。
これから私たちはAIとどのように付き合っていくのだろうか。
これから書くことは、私が日々AIを使いながら感じている
「どこで私たちはAIとの境界を持つのか」という問いです。

まず現状を見渡すと、次のようなことが言えるのではないでしょうか。
1.時代は後戻りしない(今さらAIのない時代には戻らない)
2.AIは今後も開発され続け、その能力はさらに強くなる
3.AIを使うことで、一人当たりが実行できる仕事量は大きく増える
4.AIは道具として使うべき(ただし歴史上これほど強力な道具はなかった気もする)
5.AIは責任を取らない。責任を取るのはそれを使う私たちである

ここまでであれば、ある程度納得していただけるのではないでしょうか。


そして以前にも書きましたが、私の仮説は
「AIを使ったソフトウェアエンジニア個人、あるいは数名レベルの事業者が増えていく」
というものです。

では、それはどのようなことにつながるのでしょうか。
私は、これからの時代には「職人としての矜持」がこれまで以上に求められるのではないかと感じています。

従来のソフトウェア開発では、請負元企業がメンバーを集め、PM、SE、プログラマ、テスターといった要員でチームを構成します。そして彼らは元請け企業が定めた開発ルールに従い、ある程度機械的に作業を進めていきます。

各メンバーはそのルールを基準にして自分の仕事を行います。
そのため、個人が勝手にルールを変えてしまうようなことは基本的にありません。
しかし、このチームが1人、あるいは数名になったとき、状況は大きく変わります。

理由は単純で、
「一人が受け持つ範囲が大きくなる」からです。
もちろん従来の開発ルールの一部は残るでしょう。しかし少人数のチームでは、それ以上に
一人ひとりがどのように判断し、どのようにAIを使うのかという基準が重要になります。

例えば
・何をAIに任せるのか
・どこは自分で考えるのか
・どのようなシステムなら自分は引き受けられるのか
こうした基準です。

私は日々AIと会話を重ねながらお客様のシステムを構築する中で、「なんとなく、うっすらと」ですが、こうしたことを考えるようになりました。そして自分なりの基準のようなものも、少しずつ出来てきました。

同じ包丁を持っていても、料理人が違えば出来上がる料理はまったく違います。
AIもそれとよく似ているのではないかと思います。
同じAIを使っていても、構築されるシステムはまったく別のものになります。
その違いを生むのは、やはり使う人です。

システム構築に対する考え方、AIの使い方、そしてお客様に対する思い。
そうしたポリシーの違いによって、お客様の問題を解決する仕組みは大きく変わるのだと思います。

私は、近い将来のソフトウェア開発は、どこか江戸時代の職人の集まりのような形に似てくるのではないかと感じています。
それぞれが自分の技を持ち、道具を使いこなし、責任を持って仕事をする。
AIという強力な道具を前にして、これからのエンジニアには、そうした
「職人としての矜持」
がこれまで以上に求められる時代になるのではないでしょうか。

私はそんな時代が、もうすぐ始まるのではないかと感じています。

投稿者プロフィール

柳井康伸

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